京都大学硬式野球部・卒業アルバム |
氏名 | 小林 正幸 |
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進路 | 京都大学大学院(エネルギー科学研究科) |
4年間の 思い出 |
4年間の大学野球生活では、いろいろなことがあり最高に充実した4年間ではありましたが、正直に一言で振り返ると、肉体的にも精神的にも「つらい」4年間でした。 大学野球を通じて、日々たくさんのことを学び成長しましたが、自分の中で大きな変化があったのが、3回生から4回生になる頃です。その変化とは、今まで「結果」がすべてだと思っていた自分が、「結果」までの過程(準備)、つまり、自分がその結果が出るまでに、どれだけ真剣に考え抜き、どれだけ納得のいく努力をしたかの重要性に気付いたことです。野球が終わっても、これからは毎日が「結果」の連続です。また、まわりも「結果」しか見てくれないでしょう。それでも、大学野球を通じて学んだ「結果」までの「準備」の大切さを僕は重要視していきたいです。 最後に、先輩方、いつも生意気なことを言ってすみませんでした。後輩たち、いつもえらそうなことを言ってごめんな。そしていつも一緒に努力しあった同回生のみんな、本当にありがとう。先輩、後輩、同回生、野球は終わっても、これからも永遠に付き合っていきましょう!! |
思い出の試合 | ○2回生春のリーグ戦 ・せっかく必死でレギュラーを取ったのに、リーグ戦開幕1週間前に左肩を脱臼し、開幕戦に出れず・・・。病院で悔しさのあまり涙がでた。 ・初めての盗塁で、足には自信があったので、少しスタートは遅れたが盗塁した。結果、余裕でアウトだった。この悔しさをばねに投手のくせやスタートを研究しまくった。その効果が出たのか、それ以後、引退するまで1回も盗塁を刺されたことがない。(ちょっと自慢!!) ○2回生秋のリーグ戦 ・またもリーグ戦前の合宿中に左肩を脱臼。呆然・・・。 ○2回生から3回生に変わる頃 ・右打者から左打者に転向。(不安8、期待2って感じだった) この頃から毎日朝練をするようになった。寒い日も雨の日も、毎日暗い時間から一緒に朝練をしてくれたますおに感謝です。 ○3回生春のリーグ戦 ・0安打。(全試合出たのに・・・)始めて「もう試合なんか出たくない」と思った。これを機にいつも野球のことを考えるようになった。 ○3回生秋のリーグ戦 ・同志社1回戦勝利 1対0の最終回2out1塁でセンター後方の大飛球をフェンスにぶつかりながらキャッチした。無我夢中でフェンスにぶつかったので、一瞬何がなんだか分からなかったけど、気がつくとグローブにボールが入っていた。(自分で言うのもなんだけど、超ファインプレーだった?と思う) ○4回生秋のリーグ戦 ・リーグ戦前の合宿で右手の手の平が疲労骨折。(今まで骨折なんかしたことなかったのに、こんな大事な時期に・・・)このときは精神的にかなりやばかった。 |
後輩たちへ | 終わったときに後悔のないように、野球に打ち込んでください。また練習に顔出すんで、そんときゃヨロシク!! |
これからの夢 | これからも楽しく幸せに生きたい!!! |
京大ファンの 皆さんへ |
最初に、小さい頃に野球を始めたときから今までずっと、1番の僕のファンであり、また良き理解者である父さんと母さんに感謝です。本当にありがとう。 京大硬式野球部のファンの皆様、いつも応援してくださりありがとうございます。これからも京大硬式野球部を時には厳しく、時には温かく応援してください。よろしくお願い致します。 |
通算打撃成績 | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 打点 | 三振 | 四死球 | 犠打飛 | 盗塁 | 失策 | 打率 |
2003年 春 | 出場なし | ||||||||||
2003年 秋 | 出場なし | ||||||||||
2004年 春 | 8 | 30 | 0 | 3 | 1 | 8 | 2 | 0 | 1 | 1 | .100 |
2004年 秋 | 11 | 32 | 0 | 5 | 1 | 5 | 0 | 3 | 0 | 0 | .156 |
2005年 春 | 10 | 23 | 0 | 0 | 0 | 10 | 2 | 1 | 0 | 0 | .000 |
2005年 秋 | 11 | 34 | 2 | 7 | 0 | 4 | 4 | 2 | 3 | 0 | .206 |
2006年 春 | 10 | 33 | 0 | 5 | 2 | 7 | 2 | 2 | 3 | 0 | .152 |
2006年 秋 | 10 | 23 | 0 | 3 | 0 | 3 | 3 | 4 | 2 | 0 | .130 |
通算 | 60 | 175 | 2 | 23 | 4 | 37 | 13 | 12(※1) | 9(※2) | 1 | .131 |
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