京都大学硬式野球部・4回生特集 |
氏名 | 鶴田 景子 |
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進路 | 京都教育大学大学院 |
4年間の 思い出 |
私は2回生から野球部に入ったので、正確に言えば3年間野球部にいたということになります。この3年間で、ここに書ききれないほどいろいろなことがあり、いろいろな思いをして、いろいろなことを学びました。私は、野球部どころかマネージャーもしたことがなく、もともと気が利かない性格なども災いして、先輩方にはたくさん迷惑をおかけしたと思います。最上級生になってからも、私は決して良い先輩などではありませんでしたし、後輩たちにもたくさん迷惑をかけました。そして誰より同回のみんなには、本当に迷惑をかけっぱなしで、こんなマネですみませんという気持ちです。でも、この野球部に入って、いろいろな人と会えたり、いろいろなことを経験したおかげで、手紙の書き方、挨拶の仕方、スコアの書き方を覚えたり、朝起きられるようになったり、高速を運転出来るようになったり・・・その他にもいろいろな成長があり、それはこれからきっと私の糧になると思います。 部活をしているときは辛いことのほうが多く、やめたいと思ったこともありました。でもやめなくてよかったです。どうして?と聞かれるとうまく答えられません。部活に入っていなくても、サークルやアルバイトで充実した大学生活をおくることは出来ると思います。でも、私は野球部に入ってよかった、サークルやアルバイトではなく、野球部で大学生活をおくることが出来て、よかったなぁと、心から思います。 |
思い出の試合 | 2回生秋新人戦 対同志社:このときベンチに入っていたことは、本当にラッキーでした。 4回生春リーグ 対同志社:カメラマン席で、「勝てるかも、勝てるかも」とずっとぶつぶつ言っていて、今思い出すと完全に怪しい人でした。勝った瞬間は嬉しすぎて、スコアボードの写真を何枚も自分のデジカメで撮りました。 4回生秋リーグ・ 関学:最後の試合。試合が中盤に差し掛かり、観客席に座って「これで終わりかなぁ」とぼんやりしていたとき、川添さん(H19年卒)が私の横で、「信じよう」と一言仰いました。そのとき、なぜかそれまでのいろいろなことが一気にフラッシュバックしてものすごく泣きそうになり、「まだ終わりたくない、勝ってほしい」と強く思いました。未だに思い出して泣きそうになります。これを書いている今も半泣きです。 |
これからの夢 | 自立した大人の女性になります。 |
後輩たちへ | 辛いことのほうが多いと思いますが、みんなが頑張っていることは私たちOBがちゃんと分かっています。頑張り続けることは簡単なことではありませんが、終わったときに後悔のないようにしてください。 |
京大ファンの 皆さんへ |
いつも応援ありがとうございます。来年こそ後輩たちが、きっと京大に多くの勝ち点を残してくれると思いますので、これからも変わらぬご声援をよろしくお願いいたします。 |
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