京都大学硬式野球部・4回生特集



氏名 山田 荘介
進路 京都大学大学院
4年間の
思い出
僕は浪人して大学に入ったのですが、浪人中は大学でまた野球をやるなんてまったく思っていませんでした。高校の同級生が同じリーグでやっていることや、高校時代試合に出られず、悔しい思いばかりしたこともあって大学でまた野球をやろうと決心しました。
 入部してすぐ思ったことは、先輩方がみんな考えて野球をしている、ということでした。高校時代はただひたすらにノックを受けて、バットを振っているだけだった自分には驚きでした。自分が一回生の時のチームは練習量がかなり多いチームで、自分も数を受けるのも大事だということで練習量を多くこなしていたことを覚えています。何かと雑用が多い一回生ですが、試合に出る機会もなかったので、プレッシャーもなく楽しく野球をしていました。自分が二回生、三回生の時は、少しずつ、試合に出る機会も増えてきて、チームの中での自分の役割を考え、その役割を果たそうといろいろと考え、練習を続けてきました。しかし、結果が出せず、怪我をしたりして思うようにいかない二年でした。特に三回のときは先輩に迷惑をかけてしまいました。本当に申しわけなかったです。結果が出せなかった原因は、いろんな部分での自分の甘さにあったのだと思います。(四回生になって自分の考えが甘いことに気づいた)そして、自分がキャプテンになることが決まり、監督が変わり、期待と根拠のない自信をもち、四回生になりました。
 新チーム発足当初、前年に大車輪の活躍を見せた尾藤さん(20年卒 新居浜西)が抜け、リーグ戦でまともに抑えたことがあるピッチャ―がいなくなり、私学の打線を抑えて勝つビジョンが全然見えてきませんでした。去年のチームが打てなかったこともあり、打撃に力を入れて、打って勝てるチームを作ろうと考えました(もちろん守備の練習もしますが)。その考えを後押ししたのが、長尾新監督(16年卒 小野)です。リーグ戦四位以上という目標を設定し、一日ノルマ500スイングを導入し、打撃強化を試みました。僕は、自分で量的に追い込むことができない選手が多い中で、これはいい考えだと思い、スイングのほかにも、体を鍛えるために、今までやったことのなかったトレーニングを取り入れ、去年までのトレーニングと融合して、飽きないように、しんどい中でも楽しくできるように考えました。冬の練習は、細かい連係プレーではなく専ら個人練習をします。量的にかなり追い込んだので、これだけの練習をしたら春にどれだけみんながうまくなっているのかが楽しみで期待に胸を膨らませていました。この頃僕が考えていたことは、毎日いい練習をすることです。自分でも、周りの人から見てもいい練習ができていると言ってもらえる練習をすることです。いい練習というのは、自分がその日のすべてのメニューで目標をもって、それを達成するために全力を尽くす練習だと思います。(他にもいい練習の条件はたくさんあると思います)僕自身が全力で練習するのは当然で、僕は、チームの選手全員がそれをできるようにすることが目標でした。一年間、毎日コーチとしてグランドに来てくださった舛永さん(14年卒 柳井)がメンタルトレーニングの一環で、練習日誌を導入してくださり、選手が目標設定しやすくしてくださったことが、非常にありがたかったです。冬錬では、それなりにいい練習ができたのではないかと今でも思っています。
 冬錬が終わり、実戦的な練習が始まった頃から大事な時期であるにもかかわらず、チームの雰囲気がおかしいと感じていました。それを改善できなかったのは自分含め上回生の責任だと思います。OP戦が始まり、そこそこ打てるが、投壊する試合が多く、その打開策も浮かばないまま、春季リーグ戦が始まりました。案の定リーグ戦では、大敗が続き、チームの雰囲気も最悪でした。その頃、色々あって、リーグ戦中も数をこなす練習をしようということになりました。この頃は、自分の存在意義を見失い、つらい時期でした。春季リーグは同志社から1勝しましたが、四位以上になれず、多くの課題が浮き彫りになったシーズンでした。
 新人戦が終わり、練習が再開した頃、チーム内から不平、不満が出てきて、チームの方向性を見失い、自分がチームをどうするべきかわからなくなりました。雰囲気が悪く、ただ毎日淡々と練習する日々が続いてしまいました。六月、七月と、自分の野球人生の中で最もつらく、最も悔いの残る時期でした。この時期のことはほとんど覚えていません。
 最後の合宿が終わり、OP戦をこなし、秋季リーグ戦が始まりました。前半戦、春と同じように大敗し、ここでもいろんな問題が生じ、考えさせられました。ここから、舛永さんの協力で、練習の雰囲気を変えるべく、とにかくでかい声を出すということを目標として、練習しました。これがきっかけとなり、チームの雰囲気は次第に良くなっていきました。結局秋は一勝もできず終わりましたが、自分の目標の一つであったいい練習をするという目標にかなり近づけたと思います。
 京大野球部には個性的な人が多く、いろんな考えをもつ人がいます。この人たちをまとめ、引っ張っていくというのは、相当なカリスマ性がなくてはいけないと思います。自分にはそれがなく、周りのたくさんの人に助けてもらいました。(キャプテンだけでなく、キャプテンを中心として4回生全員で引っ張っていってもいいと思います。京大ではそっちのほうが合っているかもしれない)それとキャプテンというか最上回生になるときには、かなりの覚悟を決めてならないといけないと思います。どんな精神的、肉体的にしんどいことがあっても、負けずに勝利のために努力し続ける覚悟が必要です。すべては試合に勝つためにやるのです。自分ではキャプテンという大役を引き受けるにあたって覚悟をしたつもりでしたが、その覚悟が足りませんでした。そのことはチームのみんなに本当に申し訳なく思っています。
 僕はキャプテンをすることでかなり成長できたし、楽しいこともしんどいことも一緒にやってきた同回生と過ごした四年間はいい思い出です。すばらしい先輩、後輩にも出会うことができました。それに四年間大好きな野球を真剣にすることができて幸せでした。
 長々と書いて申し訳ありませんでした。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
思い出の試合 二回秋
 関学戦 リーグ戦初ヒットを打てた試合
三回春
 近大戦 尾藤さんのピッチングに感動した
四回春 
 同志社戦 自分が出ている試合で唯一勝てた試合
 関学戦 吉田のタイムリーに涙がでそうになった
       
これからの夢  夢というほどのことでもないですが、日本各地、外国に行って、いろんなものを見て、感じ取れるようになりたいです。知識、教養を深めたいです。
後輩たちへ  僕らの世代が残したものは京大野球部が勝つために必要なチームのあり方の一部であると思っています。それが伝わっていることを願います。僕らのチームは何ができて、何ができなかったのか考え、強いチームを作ってください。大事なことは勝利のために毎日全員が努力することです。頑張って下さい。
京大ファンの
皆さんへ
 今年は情けない試合ばかりで申し訳ありませんでした。来年は後輩たちが、結果を出してくれると思うのでこれからも京大野球部をよろしくお願いします。



通算打撃成績 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 打点 三振 四死球 犠打飛 盗塁 失策 打率
平成18年春季 3 3 0 0 0 0 0 0 2 0 0 0 0 .000
平成18年秋季 6 6 0 1 0 0 0 0 4 0 0 0 0 .167
平成19年春季 9 21 0 2 0 0 0 0 9 0 1 0 1 .095
平成19年秋季 4 4 0 0 0 0 0 0 3 0 0 0 0 .000
平成20年春季 11 30 1 4 1 0 0 0 9 7 1 1 2 .133
平成20年秋季 9 25 0 2 0 0 0 2 5 0 3 0 0 .080
通算個人成績 42 89 1 9 1 0 0 2 32 7 5 1 3 .101





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