京都大学硬式野球部・4回生特集



氏名 吉田 雅基
進路 京都大学大学院
4年間の
思い出
 高校が軟式しかなかった自分にとって、硬式野球部への入部は硬式野球への挑戦でした。そして憧れていた硬式野球は自分が思っていたよりもはるかに難しく、また現実的で辛いものでした。
 チームのために一体何ができるのか、それをずっと考えつづけ、そしてチームに迷惑をかけるどころか「いてもいなくても同じ」という境遇にイライラし、「野球が楽しくないからもういいと思った」とノートに書いたこともありました。3年の冬に手術をして一ヶ月近く休んだときは練習に行きたくないと本気で思ったし、練習に身が入らず、3月のOP戦のころにはチームの中での自分の立ち位置が分からなくなりました。
 諦めに近い形で思ったのが「どんな結果になってもいいから、後悔だけはしないようにしよう」ということでした。
 その直後にたまたま結果が出るようになったこともあり、幸いにも忘れていた大切なことを思い出せました。それは「誰のために野球をやるのか」という問いかけに対する答えであり、それは他の誰かのためではなく、ましてやチームのためでもない、紛れもなく「自分のため」だということです。
 これは僕個人の考えと思っていましたが、幸いにもこの考えに理解を示してくれる人たちにも、そして自分の置かれた立場にも恵まれ、その後は自分のやりたいことを存分にすることができました。もちろん、チームスポーツである以上、チームのためにしなければならないこともあったし、また試合に出るようになり、チームの中での自分の見られ方が変わっていく中で、時には自分を見失うこともありましたが、概ね好きなようにやらせてもらったと思っています。そして心の底から笑って終われた自分は、本当に幸せな人間だと思います。
 最後になりましたが、大学野球生活の中で関わったすべての方々に一言だけ。
 本当にありがとうございました。
思い出の試合 勝った試合や最高学年になってからの試合は大体覚えているけれど、一番忘れたくない試合は新4年春のOP戦、対金沢星稜大戦。最終回に代打で出場し、左中間にツーベースヒット。打てるとは思わなかった。もしこのとき打ってなかったら、今の自分は間違いなくなかっただろうし、誇張でも何でもなく運命を決めた試合だったと思う。

そのほかには、
・3年秋 同志社2回戦
 リーグ戦初打席。初球の藤井のスライダーが速すぎてビビった。
・4年春 同志社1回戦
 屋城のは入ったと思った。
・4年春 関大1回戦
 たった一度だけ両親が見にきてくれた試合は散々なものでしたとさ。
・4年春 関学2回戦
 7回裏に代打で出場、勝ち越しとなるタイムリーヒット。このときは自分でも信じられないくらい、気持ちの準備が完璧だった。ちなみに、15分もしないうちに、あっさりと同点にされてしまうというオチ付き。
・4年夏 金沢星稜戦1試合目
 この日はダブルヘッダーで、自分は二試合目の先発予定で、先に昼食をとっていた。最終回になったので整列のためにグラウンドに出ると「代打あるぞ」と言われ、準備しようと思ったら、すぐに呼ばれてそのまま代打。焦ったけど、同点タイムリーを打ててよかった。ちなみに、暴走して三塁で余裕のタッチアウトというオチ付き。
・4年夏 大阪大
 人生でただ一度だけバックホームで刺した試合。その裏に新元くんがサヨナラ打を放ち、自分のピエロっぷりを再認識。
・4年秋 関学2回戦
 最終戦。後悔はない。
これからの夢  教師になること。そして過去のことをまっすぐに振り返り、受け止められるような人間になりたい。
後輩たちへ  野球はチームスポーツです。そして団体である以上、様々な考え方を持つ人間がそこにはいます。「他の考えを受け入れて認める」。それができるようになれば、人間として、そして野球選手としても大きく成長できると思います。また会いましょう。
京大ファンの
皆さんへ
これからも変わらぬ応援をよろしくお願いします。


通算打撃成績 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 打点 三振 四死球 犠打飛 盗塁 失策 打率
平成19年春季 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 -
平成19年秋季 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
平成20年春季 5 5 0 2 0 0 0 1 2 0 0 0 0 .400
平成20年秋季 6 6 0 0 0 0 0 0 4 0 0 0 0 .000
通算個人成績 13 12 0 2 0 0 0 1 6 0 0 0 0 .167




  copyright 京都大学硬式野球部